めだどくしょ

読書感想文を書きます。情報科学・技術、プログラミング、アート。Twitter -> @meda_dada

視覚の強調の世界へと飛び込む | 「グーテンベルクの銀河系」読了

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写真は、次に読むマクルーハンの本と一緒に合わせて。

メディアの理解を深めるため、そして今後の理解において礎を築くために、まあまあ大変でしたが頑張って400頁読了しました。

なお、早速読書感想に入りますが、作者のマクルーハンがどういう方なのかを、Wikipediaレベルでいいので是非ご覧ください。


マクルーハンこそ元祖キュレーター

前にちょろっと、津田大介さんの本のレビューを書いたのだが、彼は一つの情報の筋、文脈を専門とするキュレーターを目指すのにツイッターを駆使している、と書いていた。

マクルーハンはまさにキュレーターである。

実は、これのずっとまえに「今こそ読みたいマクルーハン」を読んだのだが、そこではマクルーハンは先人の研究を文章にまとめる際に再構成するのが上手い、ただアイデアはともかくとして、自分で発見した事実が(おそらく)ないというところで肩透かしを食う読者もいた、という説明があった。

だがこの姿勢、まさに津田さんの話すキュレーターの姿である。多用で大量なインプットから、受け手が一番欲しい形態に情報を加工できる。

この先進性は身体が震える。当時でも自分の想像以上に評価されていただろうマクルーハン先生だが、まさしく情報分野のキリストのように復活が望まれているのではないだろうか。

反面、マクルーハンの文章の引用量がエグい。自分もこうなるためには、もっともっと勉強しないといけない…。生涯をかけてでも。

メディアの影響は、生涯研究するに値する

ここまで、客観的に活字時代の生活様式を知ることはなかった。

19世紀末からニュー・メディアが台頭し、人々の感覚比率が変更され、視覚だけが強調された世界。 自分が生まれた頃にはテレビもラジオもあって、自分の場合は小さな頃からパソコンも使う機会があった。「携帯電話なのに、音楽が聞けるんだ!」という、人とはズレた理由でiPhoneというスマホも高校の頃に買った。そんな自分にはまさに考えられない世界だ。

そんな表面だけにこの本は留まらない。

グーテンベルクの銀河系」はまさにルネサンス以降の西欧歴史の旅。そして、その海を思う存分に泳ぐのに必要な周辺知識。

数学、哲学、形而上学、科学、物理学、幾何学、経済学、統計学、芸術学、(人)文学…。ついでに宗教もそう。

活字を軸に、五感における視覚の比率が強調されて、発達した数々の分野。元々は勉強といえば哲学しかなかった中で、活字によって知識の複製が可能となり、分野の分業化・専門化が捗るに至った。

本を読み終えた自分なら、どこかしらすんなり理解できる。知識を文字として持ち帰ることができるようになれば、必ずしも人が集まる必要はない。それが活字印刷の普及により文法も定まるようになれば、非属人的な、普遍的でスタンダード化された知識として、それを人に頼らずに活用することができる。だから人類は分業が果たせるようになったのだ。

この本によって、様々な分野の発達が活字に支えられたことが分かったわけだが、その凄さを180度理解するには、やっっっぱりまだ勉強が足りていない笑

ただ保証はする。この本という海を泳ぐことで、様々な知識が体系化されるどころか、それこそこの本を読んだという経験が感性に対して拡張を図る。新しい自分になれるはず。

それこそ説いているのは「歴史はメディアによって変わった」という一つの側面でしかないため、"メディア"でっかちともいえそうな知識の強調が、今では怖いぐらい。それこそ西欧人が視覚の強調を体験したかのように。

それぐらいに濃い影響を与えた本だが、やはりここはバランス感覚をなくしたくはない。重要な指針を手に入れたが、それは道具でしかない。ちゃんと、他の分野の本も読まないとな。

感覚には比率がある

それともう一つ、感覚比率(と強調)と同じぐらいに「感覚の相互作用」が、マクルーハンの掲げているテーマとして、この本でも割合を多く占める。感覚の相互作用こそ、活字時代の前に人類が尊重していた感覚、また電子時代で復活を遂げた感覚である。

私が何故だが、特に本の中で特徴的に覚えているエピソードに、活字時代より前の西欧の教会の話がある。

マクルーハン曰く、かつての聖書は、文字を透過させて読むものであった、だそうだ。

詳しく書くと、光を通す建築こそがゴシック建築であって、まさに当時から透明建築の名で親しまれていた。これは聖書の語義解釈に必要な感覚へのアプローチに関係することで、このことにより信者はページの物理的表面を読まない。テキストを"通して"、神の言い伝えを見る仕組みが、実際に前まであったのだ。

教会にあるスピリチュアルなイメージは、まさに感覚の相互作用が背景にあったのだと教えてくれるエピソードである。

だがこれが活字の普及に伴い、ほとんどの教会が聖書の物理的表面が見やすくなるように、照射する光を求めて磨りガラスに変えてしまったらしい。それを読んだ時、西欧人でもない私は、ちょっぴり悲しいなと思ってしまった。それだと光の差し込み方も、そんなに美しくなさそうだよね…。

他にも宗教にまつわる話が盛り沢山なので、是非読んでほしい。また、そのような視覚の強調が、どうやって同時的文化の側面を持つ電子時代によって瓦解、解体されたのかも、よく分かるかと思います。

それでいうともう一つ。例えば、印刷の結果としての分業の波は教会にも押し寄せて、共に同時に、神の言葉を解釈する機会が信仰者の間で減ったからこそ、それを独自に解釈する者が後を絶たなかったそうだ。

散々、経験がいかに均質化されて、そこからパッケージ化されて流通されたが世界を作り直したことを説明してきた中で、これは活字の普及による西欧の個人主義が進んだ際の、レアケースといえる問題であった。だって、それは最悪の場合は信者の改宗につながることもあり得た。

だがそのような問題に対して、今であればラジオがある。テレビがある。これにより信仰の教えに独自の解釈を挟まれることはないわけだ。

(インターネットもあるわけだけど、それはちょっと違う問題を孕んでいそうだな…)

活字によって生まれた線形思考

最後に、全てを取り上げようとするとキリがないので、残りの関心を書くと、線形思考にまつわる考えも面白かった。

資本主義が成り立つにあたってライン生産が生まれたわけだが、その部品が一つの消費財になるという思考をするためには、長年の活字文化による精神変容が必要とされる。それにより、線形思考を用いて、部品達が一つの商品になる、というのを考えることができるからだ。本の最後の方にある説明だが、すごく興味深かった。

というのもこの本、最初の方は最初の方で、未開部族のメディアへの理解を淡々と説明している。 自分なんか考え方ことがなかったような事実だが、アフリカにいるような、近代文化の影響を逃れた部族は、本当の意味でテレビの見方が分からないのだ。

テレビという箱に本当の人が入っていると思っている、というのもそうなのだが、何よりも映像番組が伝えるストーリーを、自分たちの中で組み立てることができないそうなのだ。

何かの映画やドラマが流れているとする。シーンが変わる。我々は線形思考が発達しているから、一見無関係にみえるこの二つのシーンを意味的に繋げて、頭のなかでその意図を読み取ることができる。「あ、あのシーンからこのシーンに移ったのね。その理由は…」という具合に。

だが、未開部族の人たちは、シーンが変わるだけで大慌てするのだ。「今いた人間たちは、どこへ消えた?」と、テレビの裏や周りを探索し始める。AとBを結びつけることができないのだ。 このように、そもそもテレビをじっと見ることすら困難なのである。

本の中では言及はなかったが、これは例え西欧人でも、活字が生まれる前までは同じアクションを示したと思われる。

これも冒頭にあった説明だが、まず「蛇口をひねる」→「水が出る」という、生活するにあたって利用する因果関係たちを捉える思考は、活字によって育まれたわけだ。特に西欧人は、活字が普及してからは均質で連続する空間に生きていて、原因がすぐに結果を出し、それがすぐに原因になる世界に住むこととなったからだ。我々は機械的に因果関係を考えられるのだ。

口語社会(上のような部族社会)では文字と言葉の意味が切り離せないこと、そして活字社会では文字と言葉の意味を、表音文字によって切り離すことができること。これに注目して読んでいただきたい。

というように、本の中で類似する展開が結ぶ形で最後が締めくくられるのも興味深いのだが、まず線形思考の偉大さ、といっていいのだろうか…、どれだけ我々の生活を豊かにしているかには驚きを隠せなかった。

それにしても、アフリカの話については、全てショッキングだったなー。


以上のように、「グーテンベルクの銀河系」は素晴らしい本なので、みんなも是非読みましょう。

私はこの本を読んで良かったと思います。自分の世界にある様々な事象に対して、その意味を考える知恵を授かってくれたからです。

心の豊かさって本当にあるんだな、というのが読書感想です。

内容が内容だけに多い(ページ数400頁的な意味で)ので、記事も前後編に分けようと思いましたが、やはり自分の勉強時間を削りたくないのでガッツリ割愛しました。ごめんね!

構造主義って当時すごかったんだなー | 「はじめての構造主義」読了

遅くなりました。違うエントリーです。

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現在、マクルーハングーテンベルクの銀河系」を読んでいるのですが、その周辺知識をおさらいするためにこの本を通勤中などに読んでいました。エンハンスとなったので、目的は達成できたかな。

「これからはメディアについて学びたい!」と、本当に0からスタートしている自分にとって、本当に心強い本でした。

その覚悟を決める前、去年ぐらいの話だけど、別の本で「寝ながら学べる構造主義」も読んだんだけど、アマゾンレビュー通り、こちらの方が先に読むべき入門用書籍に感じました。「寝ながら…」が構造主義の入り口までの案内だったのに対して、こちらの本はその入り口からスタートします。その証拠として、お互いにカバーしている知識人・哲学者が違う中、この本は構造主義の中心人物となる人類学者・レヴィ=ストロースの話が6−7割を占めています。

レビューをサクッと書きます。

よく分かっていなかった部分

今まで、この年代の哲学・思想において、あまり良く分かっていなかったのが言語の恣意性。物分りの悪い僕でも、丁寧な説明のおかげで理解できるようになりました。

グーテンベルクの銀河系」でも、アルファベットの最大の発明は、発音に対して全く関係のない記号を割り当てたこと、と書いてあったはず。そこから更にこの本では、言語哲学者・ソシュールの分かりやすい説明も付加されていたので、構えずに読むことができました。

加えて、そのようなテキスト至上主義に立っていたヨーロッパ史に、構造主義が与えたインパクトが生々しく伝わったのが印象的でした。というか、そんなすごいことになってたなんて想像もしてなかった。

構造主義は60年代以降の考え方で、比較して部族的といえるアジア人の台頭がたしかに目覚ましかったと思うけど、その裏にあるヨーロッパ各国の人々が感じていた衰退(中心となるフランス人の感じ方が分からないのは勉強不足だけど、イギリス人がそう思っていたのは他の本で読んだことある)の一つの要因は構造主義だったのか…と納得。

女性の交換から、テキスト破壊まで

「寝ながら…」が、最後あたりにインセスト・タブー(近親相姦のタブー化)にようやく触れて、はい終わり!って感じだったはず。

この本ではインセスト・タブーから本格的な講義がスタートします。深く分かりやすく説明してくださったおかげで、全然知らなかった知識にも触れられて満足。そのような背景から、いわゆるアフリカの部族のような未開社会が、「社会の根源的な姿」であることを説いています。

ソシュールの親族研究から転じて、近代的な神話学が、新しい神話の解析手法を手に入れたことによって花開き、構造主義が社会に、世界にとって無視できない存在へと成長していきます。

この時、注目すべきはやはり、その神話学の手法。

未開社会の部族によって、伝わっている神話の構成が"似たようでバラバラ"であったのが「彼らの考え方が未熟だから…」といってヨーロッパ人が片付けていたのに対して、(後に神話学に転倒した)ストロースは神話のテキストを破壊し、文脈における要素を並び替えて、どのような共通的かつ普遍的演算によってストーリーという出力結果が同じになるのかを発見するスタイルを取ったそう。

これが先程のヨーロッパにおけるショックの発端となった手法だそうで、それまで聖書、果てには当時のマルクス主義者のバイブル「資本論」のような固定されたテキスト(本では「啓示による真理」といっている)が神格化されていたことに対する攻撃であったわけです。

なるほど、見えるモノが真実でなく、ましてやその対象を視る主体が絶対なわけでもなく、そのような主体−客体関係を超えた「無意識的・集合的な現象・概念」こそが真理かもしれない、というのが盲目なヨーロッパ人を脅かしたのだといえます。

数学、美術も関与している

あまりブログに時間をかけたくないのですが、これ以降にもある楽しいパートを飛ばすのは大変忍びないので、簡単に触れておくと、これ以外には数学的な考え、そしてそれに対応するかのような美術史における展開も踏まえています。

美術はいつの時代も、人がどのような見え方をしているのかを説明してきたわけですが、ルネサンス以降ではユークリッド幾何学の影響、そしてもちろん活字時代を歩みだしたヨーロッパ人が絵画にリアリティを求めだしたところから遠近法が生まれたことを、これまた分かりやすく書いています。

ただそれも19世紀以降、非ユークリッド幾何学の登場、ニュートン時代からの知識を一新したアインシュタインの各法則の発見によって、美術史もまたそれに対応して変化を余儀なくされました。非ユークリッド幾何学のように、「計算された直線でなく、曲線を使ってもいい」という一種の許しが当時の美術にあったように読んでいて感じました。

美術の知識をさらに突き詰めたいと思う宛ら、数学も勉強しないと駄目だな、と落胆する僕でした。勉強すること多すぎ…。


とりあえず、次に読む本は構造主義から前後している時代の本で良さそう。

著者の方は、後のポスト構造主義に走らず、是非その前のモダニズム時代あたりについて読んでください、みたいなことを言っていたので、自分もそれでいいかなーと思っています。楽しみ!

本質的なことをするのって難しいよね|「小さなチーム、大きな仕事」読了

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知人に勧められて、この本を読みました。早速レビュー。

努力のサプリメントです

どういう本かというと、自分らしく生きようと努力して頑張っている人を激励してくれるような本。 努力しているからこそ、この本でも触れているいくつかの本質に既に触れている可能性もあるけれども、それでもまだまだ磨ききれていない意識をピカピカにしてもらえました。

かといって別に何も意識高い系なことを書いていません。ただただ地に足の着いたことを言います。逆にそのせいで苦しくなることもあるかも。

この感覚、例えば「金持ち父さん 貧乏父さん」を読んでて「ローンとかしないで身軽な状態でいましょう」なんて言われても、「え、もう30年ローン組んでいるんだけど…」ってなって少し落ち込む感じなのかな?笑

例えば自分なんかは過去にスタートアップで働いたことがあるので、VCの投資の下りとか割りと冷や汗をかいたよ。

そこでは、自分で稼ぐ方法を見つけるまで他人の金を使わせてもらえる。そこでは、ビジネスの理論は関係ない。
この不思議な場所の問題は、それがおとぎ話の世界だということだ。 [p59]

すなわち、利益を出し、それを持続させることを無視してもいい世界で、本物のビジネスを一向に始めようとしないという問題。 当時の社長は別に利益を出すことには貪欲的だったけど、いつまでそのビジネスモデルが続くかというところでユーザーを見たプロダクトを作ろうとしない(というかできない)方だったので、自分としては思い当たるところがありますね。

数々の新しい事実に触れる

本の流れとして素晴らしいのは、最初のつかみ。 みんなが、そして読み終える前の自分も神格化しがちな失敗についてこのように触れている。

よくある誤解その二は、「失敗から学ぶ必要がある」というやつだ。失敗から何を学べるのだろうか? [p19]

このように、大きい誤解から分解して、そこから網羅的に数々の新しい真実を著者が伝えてくるのだが、その構成は王道ながら効果的。 自分の場合、過去の成功から得た環境や機会を全く活かせなかったという個人的な反省があるのだが、かといって今も残された藁につかみながら自分なりに努力しようと現状に立ち向かえるのは、過去の成功から得た経験に寄る。

例えば大学に行って、当時教授が話していたこととかは当時深く掘り下げようと思わなかったけれども、環境がそういう鍵だけでも授けてくれたおかげで、今はそういう分野に携わるような仕事をしていなくても自分の中でつながりをなくさない。

それはそれで、大学入試という競争に勝ったからなのはそうだし、そこで失敗をしていたらその鍵はもらえなかったわけよね。

これは少し個人的な方向へと話題が進んじゃったけど、他にもこの本は本質的なことをしよう、ということで自分の人生の質を見直すヒントをいっぱいくれます。

鏡のような本

Amazonレビューでも「抽象的で、実践的な手段は説明しない」という感想があったけど、それはやはり見据えるべき本質は人によって違うからであろうか。

それこそ記事の冒頭で「頑張る人には共感できる点が多い」みたいなことを書いたけど、正直今はあんまり頑張りたくない…と塞ぎ込んでいれば、この本という鏡は曇ってしまうかもしれない。何かしらの手段を講じることを、本が勧めてこないからね。抽象的だからこそ反応や考え方が内向するわけで、その機能が鈍っている状態なのだから。

当然、努力が辛いときは休めばいいけど、また気持ちがリフレッシュして人生を生きよう!ってなった時にこの本をサクッと読んで欲しいです。


とりあえず、「何をするにもそのアウトプットの質を上げよう、最大化させよう、だけどそれは小さく始められる」というのがこの本の言いたいことです。詳細は買って読もう!絶対損しないよ。

Ruby技術者認定試験(Silver)に合格しました

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Ruby技術者認定試験、Ruby Association Certified Ruby Programmer Silver version 2.1に合格しました。 88点でした。90点には一歩届かず。

感想の少ない資格試験なので、ブログに思ったことを書き記しておきます。

どうしても教本が中心となる

公式の教本は誤字脱字の件もあってネット上の低評価レビューが目立ちますが、現状ではこれ以外に過去問の傾向を解説している書籍がないため、必ず買いましょう。 私はレビューを読んで改訂前のを買いましたが、アマゾンレビューで酷評されている改訂版と内容はほぼ同じです。改訂版が会社にあるのでテキトウなことは言っていないです。

説明文章の誤字脱字はともかく、サンプルコードの方は「それ通りに動かない」ということはなかった…と思います。とはいえ、書籍の紹介されているコードが動くかどうかのためにコーディングするのではなく、自らの技術として身につけるために自分のパソコンできちんとコードを動かしましょう。そうすればインプットと、期待するアウトプットが頭の中で一致していきます。

(※補足:どうやら先月である2017年8月25日に改訂版の改訂版、すなわち改訂2版が出版されたようです。ここで書いている「改訂版」は2015年に発売された方、「改定前」は2012年の方のバージョンを指しています)

あと有名なのが、この無料で開放されている自習ページ

ミニツク - Rubyのe-ラーニング研修システム

いくつかの質問は本当にSilverの範囲内なのか分からないですが、非常に役に立ちます。

このSilver試験、様々な意見があるものの、本番を受けるまでどこからどこまでが試験範囲なのか分からないと思います。 それがまた受験する日によって問題も大きく変わっている可能性もあります。

自分の時は実行環境系の質問はゼロ、オブジェクト指向問題が2,3問、IO系が3問といった感じでした。 残りのほとんどの問題が組み込みクラスのメソッドに関する質問でした。

本番では13問間違えばアウトなわけですから、守備範囲を広げることが重要になってきますが、私の場合のようなことになると受験時に若干肩透かしを食らうことになります。

ただ、例えそうであろうと、「ここまではSilverで、ここからがGold(上の難易度)」と境界を知りながら効率よく学習するには、必ず教本を手元に置いておきたいです。

あと、これら以外にはネット上にもあるドキュメントを精読しました。

オブジェクト指向スクリプト言語 Ruby リファレンスマニュアル (Ruby 2.4.0)

自分にとっての"精読"は、気になったクラスのページを印刷して、通勤中にも読むレベルでの精読でした。必読必須なStringクラスならば両面印刷で20ページぐらいでしょうか。インクがもったいないので白黒印刷にしました。

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マジでこういうレベル。何故そこまでやったかというと、試験当日にメソッドの知識に抜け漏れがあったせいで落ちるのが絶対に嫌だったからです。ベンダー資格は受験料が高いからこそ、持ち前の執念さを発揮するタイミングでした。

申し訳ないけど、同じ難易度を再受験するだなんて絶対に嫌だわ…。2回目で合計3万2千円払うとか、その金があれば色々できるだろ?!汗

的確なコードリーディングの手立てとなる

このテスト、何もライブコーディングして出来上がった制作物を評価してもらうわけでなく、提示されたコードのアウトプットを正確に把握するためのテストであるわけで、つい直感でコーディングしがちな私には大変良い薬となりました。人間であって動物でない以上、ちゃんと頭を使って、業務上でもプログラミングの読み書きが冷静にできるようになりたいものです。

日本出身のプログラミング言語の認定試験として、その資格取得における勉強環境の劣悪さにはいち日本人として残念に思いますが、Silverの難易度は一定以上のRuby知識の基礎を保証するものとしては十分に機能すると思いますので、多少合格までの道のりが手探りになりますが目指す意義はあります。

事実、今回の勉強に関していえば、直接実務に役に立つ内容でしたしね。

会社に取れと言われた資格の勉強は個々のモチベーションに依存しそうですが、会社でやることと直結している分には必要性は感じられるはず(Railsとかに触るとかならばね)。

Ruby Goldに関しては、いつ受験するかは未定。上司と相談して決めると思います。


おまけとして、チェックポイントを置いておきます。

  • Rubyでは何が真偽として評価されるのかが分かっていればOK
  • Rubyにはどういう変数であるのか、全体像を理解していれば怖くない
  • メソッド系の中心となるEnumerableモジュールのメソッドを、自分でも書くことで覚えよう
  • そしてEnumerableがモジュールであることに注目。言語のバージョン2.1以降だとどの組み込みクラスにincludeされているでしょうか?配列とハッシュはともかく、map・collectは文字列に使える?整数はどう?
  • このように、クラスとモジュールの利用方法は当然勉強しましょう
  • もしかしたら、特定のクラスのもつ定数も暗記したいかもしれません
  • 自分で気になったメソッドがどのクラスに属すメソッドなのか?逆にクラスのもつメソッドのコンソール上での確認方法は?こういうのも知っていると勉強が捗ります
  • 実務とは少し離れた範囲では、IO系の知識が必須。これは実際にコンソールでカタカタして挙動を見て覚えるしかないでしょう。教本に書いてあることが理解できないとかなら、もしかしたらUnix系のコマンドを少し触るべきかもしれません
  • 過去問の傾向として頻出するメソッドの挙動は、骨の髄まで理解するレベルでしゃぶり尽くしましょう。普段スルメを食べる感覚で!(※一個だけ、よく出てくるメソッドでも細かい挙動を把握していなくて落とした質問がありました。無念)
  • 勉強量がそのまま結果につながる資格なので、泥臭い努力を惜しまずに

「Webを支える技術」読了

ブログについてちょこっと説明しておく。

ブログを始めた理由としては「外に意識を向けること」。雇用の流動化なんて言葉ぐらいは前々から知っていたけど、だからこそ会社の外に意識を向けないといけないということを最近思い知った。

これを打算的な言い方で表現すると、今後何かしら仕事が欲しい時の手立てにしたい。以上。包み隠さない表現が素敵。

私としては、「あ、これから仕事を依頼したいと思っている人は、ちゃんとこの本も読んでいるんだな」ってのが伝わればOK。

それで当然、技術書なんかも読了時にはブログ記事化していきたいわけだけど、技術書は基本的に多くは語らないです。何かしらを説明している文章を説明し直すだけになるのは目に見えているからね。

あ、でも自分が「これは素晴らしい!多くの人に読んで欲しい!」と思ったらもしかしたら熱弁するかも。そうでなければ個人の感想として、目標10分以内のインスタントな記事を目指します。早くてベターなクオリティ。


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今回の本はWebに携わるのならばやはりこれ!ってぐらいに仕様を一通り確認できる。

存在は知っていたけど、上司さんに勧められるまでピンとこなかった本。

素直な感想としては「作法を知らないと教養がバレるのだな」ということ。非常にお恥ずかしい。

ぶっちゃけ最近プログラマーになったような経歴の自分なのですが、HTTPメソッドがそこまで大事だったとは夢にも思わなかった。

とりあえずプログラミングをやってみたいと思った時、アプリケーションのフロント側なら触るからJavascriptフレームワーク(まあNodeJSだけどね)で簡単なアプリを作ったんだけど、GET – と書かされているところが動かなくて、全部POSTにすれば動いた!なんてことで喜んでいた自分が恥ずかしい。いやそれで動いたのはいいとして、それがまずHTTPメソッドであることも知らずに触っていたからね。

それが去年になってからは、もう少しちゃんと勉強していた時期には「プロになるためのWeb技術入門」とかも読んでいて、リクエストヘッダーなんてものがあるのかーと、ようやく猿から二足歩行になった感じでしょうか。

プロになるためのWeb技術入門 -> Amazon CAPTCHA

で、今年はちゃんとHTTPの仕様に触れることができました。

その他には、この本を読んでいて他に思ったことは、XMLってこういう使い方をするんだ!ってこと。その上でどうやってAtomPubを使うのか、なんてことに最初は「???」でした。XMLは、自分のようにHTMLから触った人間にはかなり謎の多い技術仕様だから、それがJSONと肩を並べていることすら不思議に思う存在である。

ともかく、本質としてはXMLは文章・データの構造化にあるということで、自分なりには納得できたかと思う。

やっぱり、アンテナ感度を高くするにも、きちんと本を読んでおかないと感度は高くできないよね。今後もまだまだ読書やな。

IoT時代の姿勢については◎「はじめてのIoTプロジェクトの教科書」読了

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サクッと読了。

坂村健さんの本「IoTとは何か」の言葉でいうクローズド・IoTの例を知りたくて買った。 1時間ど読み終えられる内容だけど、どんどんブログ記事化していく。

といっても会話形式ということもあって、内容も薄い。帯に「ホリエモン絶賛」とか書いてあった気がするけど、それは事実なのかな?笑

後半の事例紹介を期待していたのだが、前半のIoTに対する人類に立ち向かい方の方がずっと読んでいて実になった。

IoTって、モノが意思をもって判断力を有し、我々人間に「どうしたい?」と判断を迫ってくるようなものに思えてきました。

いつかやってくるシンギュラリティーーー機械が意思を持つかのように振る舞い、人間よりも高度な判断力を持つ時代ーーーに備えて、人間は選択できる賢さを失わないようにしなければならない。だけど悲観的になることはない。勇敢に、賢く選択をできるように準備していけば、驚くほど便利な未来が待っているはずさ。[p44-45]

日本だと、先進国としてオールド・メディア(テレビ、ラジオ、広告)の浸透が早かったからこそニュー・メディアには抵抗感を感じるのに、そんな時代に生まれた日本の若者はスマホ漬けで、大事な一日一日を消費している。マサイ族なんか、猟のためにスマホアプリ使っているような時代なのにね。

生活シーンにおける判断・選択すら保留し、そこから逃れるために技術に浸かる。たかがスマホゲームが、その人の生活様式を規定する。そんな人たちの数年後の姿は?老後は?

ただもちろん、全ての人に意識高い系な生活を押し付けることは押し付ける側のエゴだよね。もっと本を読め!だなんて強制するのは間違い。それでもこのように、気づいたらIoTの生み出す精神構造にハマっていて、自分の人生の選択を行う能力を機械に殺されることは今後多くなるはず。

この本でも、IoTの前史としてはスマホが生まれる前と定義していて、その後がIoTの時代だと言っている。そしてこれから生まれる子どもたちはその時代しか謳歌できない。それで親が活字を読むような生活を送っていなければ、子供は端末上でも本を読むことがない。本が全てではないけれどもね。


ともかく自分は、もっと情報感度を高めるアンテナの基盤を強くするために、最近は本を読んでいます。

それと、IoTについてはやっぱり坂村健さんの本が一番最高なので、みんなも是非読もう。Amazonリンク置いておきますね。

http://amzn.asia/7nBYeWM

あ、でも今回の本は、Webディレクターあたりの役職の人が読むにはオススメかも。IoT事業についての全容は簡単に確認できますよ。

貧困は美談じゃないよね?「弱者の居場所がない社会」読了

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AmazonCAPTCHAが不完全なので、自分の写メを使うことにした。 これだけの画像でも、あるとないとじゃ写り映えが違うよね。

本に関しては、全然情報系でない物も読んでいく予定です。 で、今回はこの本。

貧困にも種類がある

社会の構造を読み解くのにサクッと読める新書として購入。

新書として、テーマに深く入り込まずに体系的に整理されていてとても読みやすい。震災直後を背景に、貧困の種類を統計と共に紹介している。

著者のポイントとしては、

  • 社会の弱者に対する社会的排除と社会的包摂という手段
  • 貧困には絶対的貧困相対的貧困がある
  • 国による貧困の定義は、それこそ国によって様々である
  • 貧困に対する日本人の考え
  • 格差とは、そして格差の測り方とは
  • 社会の人々に対する評価と承認

こんなところ。上記の箇条書きが上手くまとまっているのは、私が本の要約が上手いからではなく、それだけ本が分かりやすいから。

スタンスとしても、精神的貧困にはあまり立ち入らず、それ以前の問題としてある経済的貧困と、その種の貧困と社会との両者の関係を描いている。その上でどのような社会が理想であるかを最後に提示している。

データとしても、最初のほうで「日本の相対的貧困率は16%である」と打ち出し、そこからその文句の意味をどんどん分かるように説明している。

特に、貧困に陥った・陥ってしまった後の孤立の姿があったけど、まあやっぱり人付き合いって大事よね。今の自分はあまり人と会っていないんだけど、人生どうなるか分からないもんね。何にコストをかけるのか、かけないのかというビジネスライクな考え方もできるだろうけど、多くの人にとって大事な資本は人間関係なのだと客観的に見れました。

その貧困、本当に自己責任でないのか?

著者の方が貧困を研究されている方で、活動の一環としてホームレスの方たちともお会いされているそうで、その体験談なんかも載っていました。

彼らがかつて社会・会社で働いてた時に、その個性、存在を"評価"されず、社会的排除に見舞われたケースなんかもあった。これは現在会社にいて働きづらい、生きづらいと感じている人なんかも思うことがありそうだよね。

ただ、例の一つにこういうのがあって、ホームレスが体調不良で寝込み始めて、いよいよ先が長くないと分かった時にようやくホームレスの家族一同が集まったのだが、その時にその方がホームレスになった経緯が書かれている。

家は弟が継ぎ、彼は一人で東京に出て働くようになったものの、いざ仕事を失い、お土産の一つも買うことできなくなって、故郷に帰ることができなくなってしまったのであろう。路上の生活者は、このような人が多い。故郷に帰るときには、それこそ「綿を飾って」、甥や姪への土産の一つや二つかかえてでないと帰れないのである。[p116]

って、本当に言ってるの?親戚の目線が痛いのは理解できるけど、別に気にしないで帰郷して、家族に助けを求めることができたはずだよね?(時代が時代ってのは分かるけど)

ってか、お土産買えるかどうかって、貧困に困ることと比べたらどうでもいいような…。※自分の考え方としてはね

この本、いかに社会が個を承認し、包摂することが大事かを説いているわけだけど、かといって全ての貧困が構造的な部分に引っ張られていないと思う。

様々なものの境界にあると思われる自己承認

自分がブログを書き始める前に、一時期アダルトチルドレンの本を読んでいたのもあるけど(名著「毒になる親」とか)、他人からの承認よりも前に自己承認があると思っていて、

この本では他者からの承認を包摂の手段としてあげているが、まずはありのまま自分を認めてあげるからこそ、自分の幸せを追求できることができるはず。だからこそ自分のために、他人に助けを求められるわけだろう。物事には順序があるはず。

上記の例も、仕事を失った自分を何よりもホームレス自身が嫌っていた節は否定できない。だから自意識が発生する。

人間誰しも強くないから、自我を守ろうと奔走してしまうことはあるだろうが、国の制度や補助の仕組みが洗練され始めた今だからこそ、自分に素直になって、見栄をはらないことが重要なのではないだろうか。

それでも災害があった時なんかにどうしても貧困は訪れるわけで、セーフティネットとしての日本の公的扶助もまだまだ発達できるはず。アダルトチルドレン云々とは程遠いところには天災であったり、経済的な事情の急な悪化、不幸な事故・事件は必ずある。それでもまずは貧困の境界線として自己承認があるであろう、というのは私の見解です。

ちなみに自分は、会社なんかで働いていても「本来は上司であろうと後輩であろうと対等なはずだから」と思って、(当然TPOを弁えた形で)思ったことを素直に発言することで、自己を大切にしてあげられるような実践をしています。


やっぱり社会構造の問題もあると思うけど、自分が興味があるのは個人単位での、もっと心理的な構造だなーとちょっと思った。その時に個に影響を与える社会なんかもテーマとして読み解きたいけどね。

でもこの本は読みやすくて好きでした。サクッと読めるよ。